【CTOインタビュー】モノづくり文化を「やんちゃ」に発揮し、社会にインパクトを与えていきたい――DeNA・木村秀夫さん
「Mobage」をはじめとするモバイルゲームの雄として事業拡大を続けてきたディー・エヌ・エー。新規事業への探究心はとどまるところを知らず、近年では「インターネット×AI」の技術を活用し、自動運転時代を見すえて新たな交通システムを生み出すオートモーティブ事業など、リアル領域でのビジネス展開も積極的に進めています。
今回は、そんな同社の技術責任者である木村秀夫さん(執行役員 システム&デザイン本部長)にインタビュー。ディー・エヌ・エーがエンジニアに求めること、ディー・エヌ・エーでエンジニアが活躍するために取り組んでいることなどをうかがいました。
目次
モノづくりの会社として、「エンジニアボード」が技術課題を提言
事業領域の拡大が続いていますが、現在はどのような体制で動いているのですか?
事業部が大きな権限を持って動く体制で、エンジニアも基本的には各事業部に所属しています。加えて、インフラやAIといった分野に関わる人材はシステム&デザイン本部に所属し、それぞれの事業と連携しながら動いています。現状、エンジニアは全体で約500人ですね。
技術面でも各事業部が大きな裁量を持っているのでしょうか。
「どんなアーキテクチャを使うか」などは事業部に任せています。それぞれが技術面においても中長期的な戦略を立てているので、以前にCTOを名乗っていた川崎修平(ディー・エヌ・エー取締役)はあえてその肩書きを外しました。私自身はエンジニア出身の執行役員として、エンジニアリングの立場から経営へアウトプットする役割を担っていますが、同じようにCTOは名乗っていません。
一方で、組織が大きくなるに連れて技術レベルにばらつきが出てきたり、事業部を超えて相乗効果を発揮することが難しくなったりするという課題も出てきました。そこで2017年7月かたからは合議制のCTO組織として「エンジニアボード」を運用しています。川崎と私、専門役員(専門分野におけるエキスパート)、さらに各事業部の技術責任者を加えて、技術課題を話しあう組織です。
合議制にすることによって、どのような効果を狙っているのでしょうか。
経営会議のメンバーは、ほとんどがビジネスサイドの出身です。ディー・エヌ・エーはものづくりの会社なので、リソースやアーキテクチャなどの問題に対する経営へのインプットを高め、効果的な提言を行っていくことも必要だと考えています。どんなに会社の規模が大きくなっても、モノづくりの会社としてのスピード感や流動性を落としたくない。そんな思いもエンジニアボードから発信しているところです。
「人に向かわずコトに向かう」の精神で、企画やビジネスにも口を出す
エンジニアにとって、ディー・エヌ・エーはどのような環境だと思いますか?
「事業にコミットできる」という意味では、とても良い環境だと思います。
私たちは「人に向かわずコトに向かう」という精神を大切にしています。自分が誰々に評価されないのはおかしいとか、自分は誰々よりも優秀なはずだとか……。そうした感情を持つのではなく、純粋に事業やチームの目標に向かって進むことを考えたほうが仕事は何倍も楽しくなると思うんですよね。
エンジニアも企画やビジネスに入り込み、口を出し、自由にアウトプットできる文化があります。もともと「モバゲー」も、守安功(ディー・エヌ・エー代表取締役社長兼CEO)や川崎がゼロから作ったサービス。創業時からのモノづくりの文化が受け継がれていると思います。
エンジニア発の新規事業にも取り組んでいるのですか?
「新規事業にチャレンジする人を増やしたい」という会話を、よく守安とも交わしています。守安もエンジニア出身で、ビジネス分野での実績を作ってきた経験を持っているので、エンジニアの事業作りには人一倍強い思いを持っているのだと思います。
事業の定義を作り、競合との優位性を語り、戦略を練る。これをエンジニアの頭を持ってできれば、すごく強いと思うんですよ。私自身も、そうした動きをしっかり支援していきたいですね。
事業の広がりに伴って、エンジニアが挑戦できる領域も拡大しているのではないでしょうか?
そうですね。最近では大きなアライアンスを組むビジネスが増えてきています。ゲームでは任天堂、自動車では日産など、業界大手と組んで新たな取り組みを進めている。ビジネスとしてきっちり押さえるべきところを押さえつつ、ディー・エヌ・エーらしいモノづくり文化を「やんちゃ」に発揮していきたいと思っています。
自動車は言わずと知れた巨大マーケットですが、IT化はまだまだこれからという状況です。ようやく車がインターネットにつながり始めた。携帯電話がインターネットにつながり始めた90年代のような状況で、これから加速度的に発展していく領域だと考えています。
そうした挑戦を後押しするためのマネジメントでは、どのような工夫を行っていますか?
期初に目標を立て、半期に一度振り返るというオーソドックスなやり方です。ただ「事業貢献」については強く求めていますね。中長期で考える定性的な目標と、事業部の売上やユーザー満足度といった定量的な指標で評価しています。担当する事業へ貢献しつつ、エンジニアとしての伸びしろを広げていってもらいたいというのが基本的な考え方です。
マネジャー陣については360度評価を取り入れました。マネジャー陣で集まり、自己の評価に対して真摯に、建設的に考える場を持つことができるようになったと感じています。
「ずっとコードを書いていたい」という転職理由だったのに、再びマネジメントへ
木村さんご自身のことについても、ぜひうかがえればと思います。ディー・エヌ・エーに入社したのは39歳のときだとお聞きしました。
もともとは「マネジメントをやりたくないから」という理由でディー・エヌ・エーに入ったんです(笑)。前職が大手通信会社系列だったのですが、管理職を任されそうになったタイミングで辞めました。39歳で「ずっとコードを書いていたい」と言って、ここに飛び込みました。今、プロダクトのコードを書いていたら、さすがに怒られてしまうかもしれませんが……。
入社後にMobageのオープンプラットフォーム化を手がけることとなり、その頃から自然とプレイングマネジャー的な仕事をするようになっていきました。ただ、組織規模が大きくなっていく中で、プレイングでは手に負えない部分も出てきて。それでマネジメントに専念するようになったんです。
「ずっとコードを書いていたい」という思いで職場を変えたのに、再びマネジメントを任されることになったわけですね。この状況に葛藤はなかったのでしょうか?
一緒に働いているチームメンバーには、自分より優秀なエンジニアもたくさんいるわけですよ。自然とそれに気づき、「だったら彼らに任せたほうがいいな」という割り切りができるようになっていったという感じです。結局のところ、自分は「1+1=3」にする仕事が向いていたんだと思います。
かつての私のように「マネジメント側には行きたくないな」と考えている若い人は多いかもしれませんね。でも、とにかくいろいろとやってみればいいのかもしれません。実はマネジメントに向いていたり、ビジネス領域の才能を隠し持っていたりするかもしれない。人には多様な可能性がありますから。
マネジメントの立場で、特に苦労したのはどんなことでしたか?
グローバル対応ですね。買収したサンフランシスコの会社のエンジニアとともに、Mobageのグローバル化を進めたときが大変でした。
最初は「日本のディー・エヌ・エー」の考え方を持っていったんです。しかし当然彼らには彼らなりのプライドと考え方があり、いきなり溝ができてしまいました。ちゃんと対面し、ホワイトボードに擬似コードを書くなどしてコミュニケーションを深めていったのですが、打ち解けられるようになるまでには苦労しました。
世界で勝負していくためには、違う文化や異なるバックボーンを持つ人が集まり、多様性に富んだチームを作ることが欠かせません。しかし、基本的な「人と人との関係性づくり」をおろそかにしてしまうとうまくいかない。とても基本的で、原則的なことかもしれませんが、チームをまとめあげて同じ方向に進んでいくためのコツを学んだように思います。
これだけさまざまな経験を積んでいると、率直に言って他社での活躍の道も大いに拓けるかと思うのですが、木村さんがディー・エヌ・エーでやり続ける理由は?
あまり深く考えたことはないのですが……。「この会社の文化や人が好き」という理由が大きいのだと思います。川崎や守安、南場智子(代表取締役会長)はもちろん、一緒に働いているメンバーも、純粋に好きなんですよね。
やれることの自由度が高いし、やっていて楽しいという実感もあります。全社の採用や文化の醸成を推進しつつ、「再び自分もプロダクトに関わりたい」という想いも忘れていません。リアルビジネスと組んでいく事業は開発サイクルが長く、しっかりと投資して良いものづくりを進めていくことができます。プロダクトが完成し、社会へ発信する際のインパクトもものすごく大きい。エンジニアにとってのやりがいも十分です。
そうした足の長いプロジェクトでは、「地雷を踏まない」ようにしたり、外部とのアライアンスや大規模なマネジメントをこなしたりといった力も求められます。CTOや技術責任者を経験した人だからこそできるモノづくりもあるはず。そんなことを考えながら、エンジニアとしての野望を抱き続けています。